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真田信之

1566年 〜 1658年

真田昌幸の長男。

人物 日本

義堂周信

1325年 〜 1388年

人物 日本

誠仁親王

1552年 〜 1586年

父は正親町天皇、子は後陽成天皇。織田信長と親密だった。

人物 日本

近衛前久

1536年 〜 1612年

人物 日本

【井伊家上屋敷から桜田門外の変が起きた地点を撮影。】井伊家上屋敷から桜田門外の変が起きた地点は、300mほどしか離れていない。

強権政治で幕政回復を狙った井伊直弼が倒されたことで幕府の権威は大幅に失墜した。

井伊直弼

1815年 〜 1860年

人物 日本

【下田の吉田松陰像。】1854年、ペリーは日米和親条約締結のため、下田に来航した。

吉田松陰は金子重輔とともに小舟でペリー艦隊に近づき、許可を得て乗り込んだ。彼らは外国へ密航しようと企てたが、望みはかなわず、陸へ送り返された。

ペリー

1794年 〜 1858年

アメリカ東インド艦隊司令長官。1853年に艦隊を率いて、浦賀に来航。「黒船の来航」といわれる。

人物 北アメリカ

【岐阜駅前から鷺山城ー岐阜城を撮影】岐阜駅前の岐阜シティタワーの43階から鷺山城と岐阜城を撮影。

鷺山城は、斎藤道三が息子の斎藤義龍に家督を譲り、隠居した時に入った城と伝わる。
道三が隠居したので、斎藤義龍が岐阜城(稲葉山城)に入った。

のちに、道三と義龍は長良川を挟んで対立した。そして、1556年合戦に及んで、道三は敗れ、義龍勢に討たれた(長良川の戦い)。

長良川を挟んでいたとはいえ、鷺山城と岐阜城は直線距離にして3kmちょっと。
一旦対立関係になると、かなりの緊張感だったのではないか。

*なお、本当は岐阜城に行きたかったのですが、時間がなくて断念。岐阜駅前の観光協会のおねえさんに岐阜シティタワーの展望台(43階)を教えてもらいました。その結果、イメージ通りの一枚を撮れて、大満足。これぞ不幸中の幸い。

斎藤道三

1494年 〜 1556年

人物 日本

金地院崇伝

1569年 〜 1633年

人物 日本

李退渓

1501年 〜 1570年

人物 東アジア

林羅山(林道春)

1583年 〜 1657年

人物 日本

藤原惺窩

1561年 〜 1619年

人物 日本

姜沆(きょうこう、カンハン)

1567年 〜 1618年

朝鮮王朝の儒学者。豊臣秀吉の朝鮮出兵で捕虜となり、日本に連行される。藤原惺窩ら、日本の儒学者に影響を与えたとされる。

人物 東アジア

西山宗因

1605年 〜 1682年

人物 日本

松永貞徳

1571年 〜 1653年

人物 日本

世宗(朝鮮王朝)

1397年 〜 1450年

朝鮮王朝の第四代の王。訓民正音(ハングル)を制定した、

人物 東アジア

吉野作造

1878年 〜 1933年

人物 日本

徳川綱吉

1646年 〜 1709年

人物 日本

鄭芝竜

1604年 〜 1661年

人物 東アジア

今村明恒

1870年 〜 1948年

人物 日本

【大久保利通】西南戦争終結の翌年、大久保利通は紀尾井坂で暗殺された。自分は彼の死をもって、幕末維新という時代が終わったと捉えている。 暗殺現場の近くに清水谷公園があり、そこに大久保さんの哀悼碑が建っている。

大久保利通

1830年 〜 1878年

人物 日本

今井屋敷跡。<br><br>今井宗薫が織田有楽斎から譲り受けたとのこと。<br>今井宗薫は、堺の商人・茶人の今井宗久の子。

織田有楽斎

1547年 〜 1621年

人物 日本

狩野山楽

1559年 〜 1635年

人物 日本

狩野永徳

1543年 〜 1590年

人物 日本

【人物相関図:関ヶ原の戦い−石田三成挙兵 1600年−】慶長4年(1599年)、前田利家死去を受けて、利家の子・前田利長が前田家の家督を相続した。

9月、徳川家康暗殺未遂事件が発生した。徳川家康は、前田利長らが家康を暗殺しようとした罪で、利長討伐の軍を招集した。
結局、(本当に利長が家康を暗殺しようとしたのかは不明だが)利長は家康に謝罪し、母(前田利家の妻)を人質として、家康に差し出した。これにより、五大老の一人で北陸の雄・前田家が家康の傘下に入った。

慶長5年(1600年)4月、徳川家康は、会津の上杉景勝に謀反の疑いをかけた。景勝は、2年前に越後から会津120万石に国替えされたため、新領地の富国強兵のために勤しんでいた。
5月3日、上杉景勝の重臣、直江兼続から上洛拒否の書状が家康に届く(直江状)。
これを受けて、徳川家康は上杉景勝討伐の準備に入った。6月16日、家康は大坂城を出陣した(江戸城には7月2日に到着)。

石田三成は家康が機内を留守にしたことを受けて、動きを活発化させた。
光成は安国寺恵瓊・増田長盛らと計り、毛利輝元を大坂城に入城させることに成功(7月16日)。輝元を西軍の総大将とした。
7月17日、石田三成、挙兵(「内府ちがいの条々」を諸大名に送り、家康(内府)を弾劾。事実上の宣戦布告となった)

増田長盛

1545年 〜 1615年

人物 日本

【大垣城天守】大垣城は、関ヶ原の戦いの直前まで石田三成が入り、美濃の西軍拠点として利用された。
ここに石田三成、島左近、小西行長、宇喜多秀家、島津義弘らがいたわけで、毎度ながら、何となく不思議な気分になるのでした。

現在、天守内部は資料館になっている。
最上階が室内展望台になっていて、四方を見渡せる。

小西行長

1558年 〜 1600年

人物 日本

【現在(2009年)の伏見城】写真の伏見城の天守は模擬天守で、1964年(昭和39年)に遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」の一環として鉄筋コンクリート構造で造られたらしい。2009年に訪問したが、模擬天守は耐震基準を満たしていないため内部非公開だった。
2007年公開の映画『茶々 天涯の貴妃』撮影のため、東映が大坂城に見立てた改修を行ったらしい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8F%E8%A6%8B%E5%9F%8E

最初の伏見城である指月伏見城が慶長大地震(1596年)に倒壊したあと、木幡山に再建された(木幡山伏見城)。そして、関ヶ原の戦いの時の伏見城の戦いで焼失。江戸初期に再度、同地に再建された。

*関ヶ原の戦いでは、慶長5年(1600年)7月19日に西軍が伏見城(城将は鳥居元忠。兵力は約3000人)を攻撃し、8月1日に落城した。鳥居元忠は自刃。

木幡山伏見城の天守部分は、明治天皇伏見桃山陵となっている。
模擬天守の郭が長束正家の長束大蔵郭で、その南の郭が石田三成の石田治部少輔郭。

長束正家

? 〜 1600年

人物 日本

前田玄以

1539年 〜 1602年

人物 日本

豊臣秀次

1568年 〜 1595年

人物 日本

【大垣城天守】大垣城は、関ヶ原の戦いの直前まで石田三成が入り、美濃の西軍拠点として利用された。
ここに石田三成、島左近、小西行長、宇喜多秀家、島津義弘らがいたわけで、毎度ながら、何となく不思議な気分になるのでした。

現在、天守内部は資料館になっている。
最上階が室内展望台になっていて、四方を見渡せる。

宇喜多秀家

1572年 〜 1655年

人物 日本

小早川隆景

1533年 〜 1597年

人物 日本

ノート【更新順】
・ 岡山県の没落武士
・ 江戸東京たてもの園を訪問
・ コルク社主催の伊東潤氏の第3回読者会に参加
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ノートまとめ【更新順】
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世界史古代概論
・ 世界史古代概略
・ ローマと前漢、不思議な成立の符合
・ 古代の日本と西欧
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・ 応仁の乱に関する歴史小説(池波正太郎『賊将』)と解説書
・ 北条早雲の生涯と伊東潤『疾き雲のごとく』-早雲の生涯を4期に分ける-
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