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イダルゴ

1753年 〜 1811年

人物 中南米

モンロー

1758年 〜 1831年

人物 北アメリカ

後奈良天皇

1496年 〜 1557年

人物 日本

上杉定実

1478年 〜 1550年

長尾為景に擁立された越後守護。

人物 日本

長尾晴景

1509年 〜 1553年

長尾景虎の兄。

人物 日本

岩倉具視

1825年 〜 1883年

人物 日本

後藤象二郎

1838年 〜 1897年

人物 日本

中岡慎太郎

1838年 〜 1867年

人物 日本

【大阪城】外曲輪の砲兵工廠化学分析場。<br><br>      大正8年(1919年)に建造された。<br><br>      大村益次郎の提言によって作られた大阪砲兵工廠は、東洋一と言われる軍需工場に成長した。<br>      しかし、昭和の敗戦でその歴史的役割を終え、現在まで放置されている模様。荒れたまま立入禁止になっている。

大村益次郎

1824年 〜 1869年

人物 日本

【歩きに歩いた男、吉田松陰〜花燃ゆ 第2回「波乱の恋文」〜】吉田松陰は幕末の長州藩士で、尊王攘夷派思想を唱え、また、長州藩・萩の松下村塾で、高杉晋作・久坂玄瑞・伊藤博文などを育てた人物として知られています。

しかし、松陰の足跡を見ていくと、彼が机上の学者ではなく、「旅する学者」であることが分かるでしょう。
彼は山鹿流の兵学者であったので、その目で日本諸国を見て廻り、海防の状況の調べたのでした。そして、名のある人物を尋ね、常に自分の考えを磨き続けたのでした。

そういう求道者的な態度に加えて、元来の聡明さと孟子的な熱意でもって、歳月を過ごしたものですから、年々、彼の知見は深まり、凄みを増していったのではないでしょうか。それが多感な若者たちを吸引して、松下村塾に集わせたのかなと思います。

さて、松陰は1850年の九州遊学を皮切りに、下田密航(1854年)で捕らえれるまで、日本諸国を歩きに歩きました。
1851年に江戸遊学、そして、同年、脱藩して、東北視察へ。翌年、江戸に戻ってきました。
長州藩は彼を萩への送還しました。

ここが第2回までの内容です。

松陰はわずか3年の間に、九州、江戸、東北を歩きに歩いたのでした。
しかも徒歩で。

花燃ゆでは、このあたりのプロセスがサクッと縮められていました。
もっとガッツリ知らたい方は司馬遼太郎『世に棲む日日』をご覧になるといいと思います。

高杉晋作

1839年 〜 1867年

人物 日本

ロッシュ

1809年 〜 1901年

人物 日本

パークス

1828年 〜 1885年

人物 日本

【板橋の近藤勇の墓】鳥羽・伏見の戦いで敗れ、近藤勇ら新選組は江戸に戻った。その後、近藤は甲陽鎮撫隊を組織して甲府占領を目論んだが、新政府軍に敗れた。

下総流山で新政府軍に包囲されて捕縛。板橋まで連行されて、板橋刑場で処刑された。

近藤勇・土方歳三らこの墓は、新選組幹部の永倉新八が発起人となり、整備したものとのこと。

近藤勇

1834年 〜 1868年

人物 日本

三条実美

1837年 〜 1891年

人物 日本

島津久光

1817年 〜 1887年

人物 日本

【二条城天守台から本丸御殿を撮影】<p>正面の建物が二条城の本丸御殿。</p>
<p>江戸時代の本丸御殿は、1788年の市中の大火で消失した。<br>現在の本丸御殿は、1893年から翌年に京都御苑今出川御門内の旧桂宮御殿を移築したもの。14代将軍、徳川家茂に嫁いだ皇女和宮が約1年8ヶ月間、居住した。また、孝明天皇の仮皇居として使用されたこともある。</p>
<p>なお、天守台でこの見晴らしなので、五層の天守閣上からはかなりの高さだったはず。</p>

和宮

1846年 〜 1877年

人物 日本

安藤正信

1819年 〜 1871年

人物 日本

【安政の大獄】伝馬町牢屋敷跡。<br>江戸城の北東に位置し、現在の十思公園(東京都中央区小伝馬町)周辺にあった。<br><br>幕末の安政の大獄では、吉田松陰、橋本左内らが入牢した。

橋本左内

1834年 〜 1859年

人物 日本

松平容保

1835年 〜 1893年

人物 日本

天璋院(篤姫)

1836年 〜 1883年

人物 日本

徳川家定

1824年 〜 1858年

人物 日本

藤田東湖の「正気の歌」の碑。<br><br>藤田東湖は水戸藩の尊皇攘夷論者で、水戸藩主・徳川家斉の腹心として活躍した。1844年に主の家斉が失脚すると、東湖は小石川の水戸藩上屋敷に幽閉され、翌年にはこの地にあった水戸藩下屋敷に幽閉された。<br>そして、この地で「正気の歌」の漢詩を作り、この歌は、幕末の志士たちの愛唱歌となった。<br><br>なお、石に刻まれた文字は判別が難しくなっていた。<br>あと、石碑の左側に東京スカイツリーが見えた。

藤田東湖

1806年 〜 1855年

人物 日本

堀田正睦

1810年 〜 1864年

人物 日本

後藤新平

1857年 〜 1929年

人物 日本

<p>幕末に、アメリカ領事館が置かれた玉泉寺。<br>初代アメリカ総領事、タウンゼント・ハリスとその通訳のオランダ人。ヒュースケンもここに居住した。</p>

ハリス

1804年 〜 1878年

人物 日本

【二条城天守台から本丸御殿を撮影】<p>正面の建物が二条城の本丸御殿。</p>
<p>江戸時代の本丸御殿は、1788年の市中の大火で消失した。<br>現在の本丸御殿は、1893年から翌年に京都御苑今出川御門内の旧桂宮御殿を移築したもの。14代将軍、徳川家茂に嫁いだ皇女和宮が約1年8ヶ月間、居住した。また、孝明天皇の仮皇居として使用されたこともある。</p>
<p>なお、天守台でこの見晴らしなので、五層の天守閣上からはかなりの高さだったはず。</p>

孝明天皇

1831年 〜 1866年

人物 日本

プチャーチン

1804年 〜 1883年

人物 ロシア

芝の増上寺の東にある「ペルリ提督の像」。<br><br>1853年、マシュー・ペリー提督(アメリカ東インド艦隊司令長官)は、黒船を率いて浦賀に来航し、米大統領フィルモアの国書の受け取りを迫った。幕府の外交は長崎で行うのが慣習だったが、幕府は、ペリーの圧力に屈して、国書を久里浜(神奈川県)で受け取った。<br>通常、このペリー来航をもって、幕末史がスタートする。<br><br>翌年、再度ペリーは来航し、幕府と日米和親条約を結び、日本を開国させた。<br><br>この像は、アメリカのロードアイランド州ニューポート市から贈られたそうだ。

フィルモア

1800年 〜 1874年

アメリカ第13代大統領

人物 北アメリカ

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江戸東京たてもの園を訪問
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早雲時代の魅力-室町幕府の崩壊と関東情勢-
応仁の乱に関する歴史小説(池波正太郎『賊将』)と解説書
北条早雲の生涯と伊東潤『疾き雲のごとく』-早雲の生涯を4期に分ける-
その他
2015年NHK大河「花燃ゆ」の関連情報
歴史系テレビ番組まとめ(2014年5月版)
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