【江戸城】両国広小路。
明暦の大火(1657年)の時、多くの江戸人が焼け出され、この辺に逃れたが、橋がなかったため、火に巻かれたという。この大火を受け、架けられたのが両国橋(武蔵と下総を渡す橋なので、「両国」橋)で、この辺(両国橋の西側)は空き地(火除け地)とされた。いまは、車が多数走っているが、結構広い。古地図を見ると、左の建物もかつては空き地だったようだ。
写真奥の黄色になっている信号の辺りに、浅草見附があった。いまは、見る影もないが。。
なお、明暦の大火は死者10万人と言われている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%9A%A6%E3%81%AE%E5%A4%A7%E7%81%AB
いま、東京23区の人口は約900万人。
当時の江戸の人口が50万人なら、死亡率は20%、100万人なら、10%になる。現代の23区の人口比率に置き換えると、死亡率20%なら、180万人が死亡ということになる。
死者10万人というのは本当かという気はするが、明暦の大火で、江戸がどれほど壊滅的な被害を受けたかは想像に難くない。
作成日:2013/8/27
, 撮影日:2013/8/24
場所: 日本, 東京都中央区東日本橋2丁目 靖国通り(原則、地図座標から場所を算出しています。目安とお考えください)
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