【躑躅ヶ崎館】西曲輪、南側の土塁。確かに土塁は高いが、武田信玄最盛期の頃、100万石の大名の居城とは思えないものだった。おそらく、信玄は他国から攻められるという心配をしていなかったのではないかと思う。実際、織田信長の脅威が増した武田勝頼の頃、新府城に移った。
作成日:2013/2/9 , 撮影日:2011/10/1