古代から大帝国の脅威だった狩猟・遊牧勢力
古代から乾燥地帯の狩猟・遊牧勢力は得意の機動力を活かして、度々ステップ地帯に出撃し、古代国家に脅威を与えてきました。
古くはスキタイ、匈奴などがその典型です。文字は農業を行う文明で発達したので、こういった遊牧勢力は常に敵として書かれ、その実態はよくわかっていません。
匈奴
例えば、匈奴は中国の戦国時代に大いに栄え、前漢の初代皇帝の劉邦を破るなど、その機動力を活かして、猛威をふるいました。司馬遷の『史記』を通して、我々は匈奴について知ることができます。
ゲルマン人の大移動
また、ゲルマン人の大移動の原因は匈奴の分派のフン人が東から西に移動したことで、玉突き的にゲルマン人が移動したという説があります。
コトバンク:
フン族
進化する狩猟・遊牧勢力
狩猟・遊牧勢力は近くの大帝国(地中海、インド、中国の帝国)に攻め込んで、勝利した時には居座るわけですが、その間に軍事力が弱体化したり、別の遊牧勢力に駆逐されたりと、土着化しない限り、なかなか農業地域に支配圏を確立することはできませんでした。
しかし、東アジアでは10世紀の遼あたりから、狩猟・遊牧勢力は国家制度を整えはじめ(自分たちの文字を作り始めたのもこの頃です)、長期間、軍事力を維持しつつ、農業地域を支配することができるようになってきました。
それは当然、農業文明の深刻な危機を意味します。
そして、その脅威が深刻化する最中(南宋)、朱子学(儒教の一派、のちに主流になる)が形成・発達します。
(つづく)