ペリー来航
ペリーが1853年に来航したことは学校で習ったでしょうし、『龍馬伝』などの各種メディアでも繰り返し放送されているので、ご存知でしょう。
その翌年に東海・東南海、南海地震が発生。さらに江戸を大地震が襲う
しかし、その翌年の1854年に安政地震という大地震・大津波が起きていたのをご存知でしょうか。
しかも、この地震は連動型地震でした。1854年12月23日に東海・東南海地震が発生、その約32時間後に南海地震が発生しました。さらに、その約1年後に江戸で安政江戸地震が起きました(この地震で水戸藩の重鎮、藤田東湖は圧死)。
ペリー来航から明治維新までわずか15年
一連の地震で、太平洋側の地域と江戸が大打撃を受けることで、当時の社会と幕府に大きな影響を与えたことでしょう。
確かに、ペリー来航による外圧は尊皇攘夷運動に実際的な危機感を与えたと思いますが、あれだけ盤石だった江戸幕府がペリー来航から15年で瓦解するのはちょっと不思議な気がします。
被災地域の生活苦という要素を織り込んで考える
そこには、被災地域を中心とした生活苦という現実があったのではないでしょうか。
確かに、日米通商航海条約によって、1860年頃から日本と外国との間の貿易が始まったことで、日本経済は世界経済に組み込まれた結果、国内の貨幣・物流システムが影響を受けて物価が値上がりしたことはあったでしょう。
本当に物価高の原因が貿易だけだったのか、興味深いところです。
もし現代に同じことが起こったら。。。
ここでちょっと想像してみてください。いま、東海・東南海・南海地震が起こって、その翌年に東京に直下型地震がやってくることを。。。
その人的被害を、諸産業への影響を。
東日本大震災を通して考えると、その影響の大きさに震撼するのではないでしょうか。
外圧、生活苦とナショナリズム
外圧と生活苦から、ナショナリズムが一気に高揚し、これを薩長同盟がうまく取り込んで倒幕したと考えると、ペリー来航と貿易による物価高だけで考えるよりも説得力があると思います。
我々は自然の上に文明を築いているので、その文明の前提が崩れると、社会も政権もひっくり返ることがあるのです。
東日本大震災と現代日本について考える
翻って、現代日本に目を向けてみましょう。
東日本大震災が起こって以降、民主党の退潮、大阪維新の会の躍進という動きが起こりました。
もし東日本大震災がなかったら、昨年の秋、大阪維新の会は選挙であれほどの勝利を得られたでしょうか。
むろん、確かめようがないことではありますが、一考には値するでしょう。
昨年、我々は日本史の歴史的な出来事を経験し、いま、歴史的な転換点にいる可能性が高いのです。
歴史を知ることで日常生活と違う視点を持つ
前回と今回の記事(明応地震、安政地震)で大災害が政治に影響を与えたであろうことを見てきました。歴史的にものをみると、普段生活している視点と違う視点を持つことができます。
そして、過去の事例を知り、活用することが、こういった大災害で犠牲になった方々に対する何よりの供養になると思います。
(おわり)
資料
・
安政東海地震
・
安政江戸地震
・「
安政地震と幕末維新」グループ