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東海を襲った大地震と大津波:明応地震(1498)

投稿日:2012/08/23

タグ: 歴史と災害 戦国

大地震と大津波

大地震と大津波は被災した人々に多大な犠牲と損害を与えるということは、昨年、我々は学びました。

約500年前の明応地震とその影響

今から約500年前に、東海沖で大地震が発生し、大津波を引き起こし、太平洋側に大きな損害を与えました。これが1498年(明応7年)の明応地震です。

Wikipedia 「明応地震


浜名湖が海につながり、鎌倉大仏に津波が押し寄せる

この地震による津波の影響で、浜名湖が海につながり(今切)、鎌倉大仏にまで到達したという説があるなど、その凄まじさが偲ばれます。

浜名湖の誕生
津波が鎌倉大仏まで至った「明応地震」検証へ

*なお、鎌倉大仏に到達したという津波は相模沖の明応4年の大津波だという説もあります。確かに、東海沖の地震で鎌倉大仏にまで津波が来るというのはちょっとおかしい気がします。
落城伝説と津波10 巨大津波と北条早雲

その時、信虎は・・・

昨日の話にでてきた武田信虎(武田信玄の父)はこの時、4歳。
甲斐も相当揺れたでしょうから、さぞかし、恐ろしかったことでしょう。
また、この時、武田家は信虎の父(武田信縄)と祖父・叔父が戦い、内乱状態でしたが、震災のために、和睦したという説もあります。

明応地震と北条早雲の躍進

さて、この地震は政治的にはどのような影響を与えたのでしょうか。

これを資料的に裏付けるのは難しいですが、被災地域でだった伊豆・相模で活動した北条早雲の動きを見ていきましょう。
明応地震が起こった同年、伊豆を平定。同じ頃、小田原に進出しています。ここで一旦足踏みしますが、死去する3年前の1516年に西相模の三浦一族を滅ぼし、相模攻略に成功しています。
そして、この間の1506年頃から下克上の動きは激しくなり、関東では永正の乱が起き、京都では細川政元の暗殺されるなど、室町秩序の崩壊が著しくなります。

*この頃、武田信虎は甲斐守護となり、彼のサバイバルがはじまります。



明応地震と早雲の伊豆・相模攻略、そして、早雲の善政という話はどこかつながっている感じがしますが、果たしてどうなのでしょうか。

むろん、自然災害だけで政治史を語るのは無理がありますが、大災害をしっかり織り込んで歴史を考えるべきだと私は思います。

北条早雲は戦国黎明期の戦国大名であることを考えると、明応地震は戦国の始まりを示す狼煙だったようにも思えます。

旅行先で奇襲されないように

こういったことは現地の人は知っているでしょうが、旅行先の場合は脇が甘くなりがちです。自然の猛威が自分の常識を常に下回るとは限らないので、知らない土地に行く時には奇襲されないように注意したいものです。

(おわり)

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