戦国の名将
弱肉強食の戦国時代にあって、多くの戦国大名たちが滅びていった中、武田信玄と織田信長は政略・戦略・戦術に優れて、勝利を重ね、領土を拡大しました。名将という点で、両者は共通していると言えます。
まずはざっくり年齢差を頭に入れる
ざっくり、主要人物たちの年齢差をご覧ください。
大体の世代を把握しておくと、のちのち、話が分かりやすくなります。
スタート地点は違った
名将という評価は同じでも、武田信玄と織田信長のスタートには大きな違いがありました。
それは武田信玄の父、武田信虎から統一された甲斐とその家臣団を丸々引き継いだのに対して、織田信長の父、織田信秀は一時は尾張の大部分に影響力を行使できたものの、美濃の斎藤道三に大敗、また、三河から今川義元に圧迫され、尾張半国の状態で急死しました。
有名な信長と斎藤道三の娘(濃姫)の婚姻も、織田信秀が北の美濃(道三)と南の三河(今川義元)の二正面作戦を諦めて、道三と和睦し、今川義元に備えたためです。
つまり、スタート時点では、信玄のほうが信長よりも有利な立場にありました。
(
つづく)
参考
武田信虎
織田信秀
グループ「
武田信玄と織田信長、父親たちの遺産」:武田信玄・織田信長はもちろん、北条氏康のグラフなども見れます。
おまけ
斎藤道三と武田信虎は同い年だったんですね。今まで気づきませんでした。
まあ、両者とも生まれ年については異説があるのですが。