信長の偉業
織田信長、日本史上、最も有名な人物の1人です。
彼の行った戦略・戦術(長篠の戦い)、外交(上洛戦)、経済政策(楽市楽座)、人材登用(豊臣秀吉や明智光秀の登用)、どれをとっても卓越しています。
しかし、1点忘れてはならないのは彼の偉業は、鎌倉時代の武家社会の成立、応仁の乱による秩序の崩壊の流れを受け、秩序の再建に務めた北条早雲らの初期戦国大名たち、さらには、斎藤道三や武田信玄らの中期戦国大名たちが推し進めた改革を前提として、それを大規模展開したという点です。
と堅い話はこれくらいにして、記事の見ていきましょう。
信長バス
岐阜県岐阜市に7月16日から信長バス登場
信長、街おこしに使われていますね。楽市楽座を進めた人なので、本望なのではないでしょうか。
あれが街中を走っていたら、目を引くでしょうね。
鉄道もトラックもなかった時代
「湖の船が結ぶ絆」展:歴史と役割考える展示−−近江八幡・県立安土城考古博物館 /滋賀
近代以前、大量に物を運ぶには水運を使う必要がありました。なぜなら、鉄道もトラックもなく、陸上を移動するには人力か畜力を使うしかなかったためです。その点、水運は省エネでモノを運ぶことができました。
信長は交通の要衝、近江(滋賀)の価値をより大きくするため、近江の水運を重視したのでしょう。安土城もまた琵琶湖の水運を念頭に設計されました。
水運、太田道灌、そして、徳川家康へ
太田道灌の江戸城が栄えたのも江戸川、荒川、入間川という関東の3大河川をおさえ、江戸湾交易を制御できる位置にあったためです。
徳川家康は賢明にもこのことに気づき、豊臣秀吉から関東を与えられた時に、当時の関東の中心地であり、北条氏が本拠を構えていた小田原城ではなく、江戸城を本拠地としました。
通常、街道が重視されがちですが、海道や河川水運にも目を向けると、歴史を見る視野が広がると思います。
参考情報
織田信長
長篠の戦い
安土城築城