大河、ついに信長の野望が潰えてしまいましたね。
濃姫が本能寺の変で亡くなったことはありえないというのが歴史家の見方のようですが、まあ、この辺は脚色ということで。
御着の殿もお亡くなりになったわけですが、もしや最後の最後でちゃぶ台をひっくり返すのではないかと思わせる素晴らしい演技でした(結果としては、あっさり旅立たれてしまいましたが)。
このあと、信長後継者戦争がはじまりますが、それはまた今週日曜のお楽しみに。
今週の年表は明智光秀と他の人物たちの年齢差です。光秀と信長はちょうど一回り違うことが分かりますね。光秀が信長に仕えるのが信長の上洛(1568年)の頃なので、ちょうど40歳くらいです。信長の下で懸命に働くこと14年、手柄を立てて存分に取り立てられて本能寺に至るという結末でした。
さて、ちょうどこの頃、西欧では、スペインの黄金時代が黄昏を迎えつつありました。
信長の京都上洛と同じ年(1568年)、オランダはスペインの経済的、宗教的な圧政に対抗すべく立ち上がり、オランダ独立戦争がはじまりました。
本能寺の変の前年(1581年)、オランダはついにオランダ独立宣言を発して、オランダ連邦共和国を建国します。その後、スペインは無敵艦隊がエリザベス女王のイギリス海軍に敗れて、坂道を転げ落ちていくのですが、まあ、それはもうちょっと先の話です。
日本と同じように、西欧もまたどこへ流れ着くか分からない状態だったのです。
作成日:2014/7/14
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